2020年9月7日
杉尾 俊之(Toshiyuki Sugio)
代表取締役 2019-2023年度
新規事業への参入、既存事業の改革など、これから新しく何かを始めようとお考えであれば、2020年は大きなチャンスの年になりそうだ。
2020年の干支は「庚子(かのえ・ね)」である。干支は10種類の十干(じっかん)[注1]と、12種類の十二支[注2]の組み合わせで60種類[注3]が存在し60年で一巡する。
十干は太陽の巡りと動物の生命の循環サイクルを「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」の10種類で示したもので、2020年の十干「庚(かのえ)」は7番目にあたる。季節でいえば秋の初めであり、生命サイクルでは結実や形成という変化転換を表す。また「庚(かのえ)」という漢字は、杵を両手で持ち上げる象形と植物の成長が止まって新たな形に変化しようとする象形からできた文字と言われており、「変わる」や「継ぐ」という意味がある。これらを考え合わせると、「庚(かのえ)」とは結実の後に転身することを意味する。
十二支は月の巡りと作物の発芽から収穫までの生命の循環サイクルを「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」の12種類で示したもので、2020年の十二支「子」は1番目にあたる。「子」は種子が土中で発芽したまさにその瞬間を意味する。その後、「丑・寅・卯・辰・巳」と徐々に芽が育ち、「午」で陰陽の転換点を迎え、「未・申・酉・戌」と結実する。そして最後の「亥」で地面に落ちた種が土中へ埋まり、次世代の生命へと繋がっていく。
すなわち、「庚子(かのえ・ね)」が表す意味は、新たな芽吹きと繁栄の始まりである。つまりは、新しいことを始めると上手くいくチャンスであると指し示している。ちなみに、今から60年前の「庚子(かのえ・ね)」年の出来事を調べてみると(参考:朝日新聞「あのとき」)、1960年安保、三井三池争議、アフリカの年、所得倍増計画など、社会、経済の変革の息吹が感じられる一年である。(文末付表を参照)
甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)、己(つちのと)、庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと)
子(ね)、丑(うし)、寅(とら)、卯(う)、辰(たつ)、巳(み)、午(うま)、未(ひつじ)、申(さる)、酉(とり)、戌(いぬ)、亥(い)
1甲子、2乙丑、3丙寅、4丁卯、5戊辰、6己巳、7庚午、8辛未、9壬申、10癸酉、11甲戌、12乙亥、
13丙子、14丁丑、15戊寅、16己卯、17庚辰、18辛巳、19壬午、20癸未、21甲申、22乙酉、23丙戌、24丁亥、
25戊子、26己丑、27庚寅、28辛卯、29壬辰、30癸巳、31甲午、32乙未、33丙申、34丁酉、35戊戌、36己亥、
37庚子、38辛丑、39壬寅、40癸卯、41甲辰、42乙巳、43丙午、44丁未、45戊申、46己酉、47庚戌、48辛亥、
49壬子、50癸丑、51甲寅、52乙卯、53丙辰、54丁巳、55戊午、56己未、57庚申、58辛酉、59壬戌、60癸亥
「庚子(かのえ・ね)」が表す意味が新たな芽吹きと繁栄の始まりであるにも関わらず、今年は、新型コロナ禍の影響を受け、世の中は混乱、停滞している。
最近、想定外という言葉を聞くようになったが、新型コロナがもたらす混乱は、単なる想定外として片づけて良いのだろうか。この違和感やギャップを、未来や将来の予測という観点で考察してみたい。
前述した干支は、生命活動(広くとらえると、社会、経済、技術、政治などのマクロ環境)の循環サイクルを示すものである。循環するという考え方は、例えば、輪廻(りんね)思想など、東洋的な世界観に基づくものであり、繰り返し起こる事象のそれぞれを未来の起点として、時間の流れを循環サイクルの中で認識することを意味する。東洋的世界観に基づけば、この先身に降りかかって来るであろう未来の事象(姿)を認識し、そこから遡って今何をすべきかを備えておくという考え方である。
一方、西洋的な世界観では、時間は過去から未来へと流れており、未来は過去から続くプロセスの結果として存在する。西洋的世界観に基づけば、未来を良い結果に導くためには、今何をすべきかを問い積み重ねていくことになる。
これらを、今般のコロナ禍に当てはめてみる。
西洋的な世界観に立てば、コロナ禍は、過去からの何らかの原因の積み重ねの結果で生じたものであるのでその原因を解消するための今後の改善策(治療薬、ワクチン開発など)を打っておく、それも、今すぐに。そうすれば、現状の世界よりも相対的により良い世界が訪れると考える。
東洋的な世界観に立てば、今般のコロナ禍は、これまでの歴史の中で繰り返し起こってきた疫病禍が巡ってきたのであるから、規模、度合いの違いはあるにせよ、将来の最悪の事態、あるいは、最良の事態を描いてみて、そこから何をすべきかを遡って備えとして策を打っておくことで対処すると考える。
西洋的、東洋的という感覚的な分け方をしてしまったが、整理すると、前者が、過去と現在の「相対的な世界観」の対比に基づいてフォアキャスト(積み上げ方式)で未来を予想し策を検討するに対し、後者は、循環の中で変わらない、揺るがない「絶対的な世界観」に基づいて未来を描き、そこ起点にバックキャストで制約を検討するといった違いがある。
今回のコロナ禍も含めて、最近、特に多くなってきた「想定外」の出来事に対し、経営トップや経営幹部の諸氏におかれては、まさに、前例や事例がまったく役に立たない混沌とした世界で、自己の哲学、揺るぎない絶対感覚を信じて意思決定をせざるを得ない難しさを痛感されているのではないだろうか。劇的な環境変化の中で生き残りをかけて「相対的な世界観」から「絶対的な世界観」へのパラダイムシフトを如何に乗り切って、反転攻勢に持っていくかが喫緊の課題である。
日本経済新聞の記事「コロナ長期化、企業はどう付き合う? (2020年7月21日)」によると、コロナ禍が長期化するという懸念が約2カ月前よりも高まっている。それを受けて、テレワークの普及が進み、テレワークを実施している企業は95%を超えている。その中で、主要企業はコロナの収束に向けた施策を最優先に考えている。既に、第2波の発生が懸念される事態となり、自社内に感染者が出れば操業を止めざるを得ないとする企業も多く、緊急事態宣言における移動制限によるビジネスの打撃よりも、感染拡大により企業活動や経済活動自体ができなくなる事態を重視せざるを得ず、その対応に苦慮している企業が多い。
その状況下、需要回復には「2年以上かかる」「戻ることはない」と考える企業や経営者が多く存在し、最近、その事態を「ニューノーマル(英語:New Normal)」と称するようになってきた。ニューノーマルという用語は元来2007年から2008年にかけての世界金融危機(リーマン・ショック)の頃に流行したバズワードで、かつては異常とみなされていたような事態が非連続な構造的な変化が起きた結果として「新たな常態・常識」になって来ることを意味する。
新型コロナ過で明けた2020年度も半年が過ぎようとしている。ここにきて、非日常が日常に、これまでの変化の速度が大きく加速しニューノーマルな世界として定着、定常化の兆しが見えてきた。庚子(かのえ・ね)であるが新たな兆しは見えず、むしろコロナ禍で混乱、停滞している。しかしニューノーマルの台頭にこそ、新たな芽吹きと繁栄の始まり、その兆しであるのではないか、と捉えることもできる。
今後、本コラムシリーズを通じて、新型コロナがもたらした新しい世界観を織り交ぜながらニューノーマルな話題を選んで発信して行きたいと考えている。
未来を予測することが極めて困難であり不確実であるということが常態化したビジネスの世界で、多くの課題に直面する経営トップ・経営幹部の皆様にとって、このコラムシリーズが道筋を照らす一つの光となれることを願って止まない。
付表:60年前の「庚子(かのえ・ね)」年の出来事
1960年安保
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三池争議
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アフリカの年
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所得倍増計画
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自然災害
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新商品、新技術、モデルチェンジ
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新政権、政変
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